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■玉泉寺 今月の掲示板■「ゆっくり咲く 花もある」

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春になると、競うように一斉に咲く花があります。 けれど、土の中で長い時間を過ごし、ようやく顔を出す花もあります。 芽が出るのが遅いからといって、失敗したわけではありません。 今は根を張り、季節と自分を待っているだけです。 人の歩みも同じです。 早く結果が見える人生もあれば、時間をかけて深まっていく人生もあります。 比べる必要はありません。咲く時は、必ず来ます。 焦らず、今の一日を丁寧に。 ゆっくり咲く花には、ゆっくり咲いた分だけの力と香りがあります。

小さな修行を気ままに、折々に

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修行という言葉には、どこか身構えてしまう響きがあります。 長時間の読経、厳しい作法、継続しなければ意味がないもの――そんな印象を抱く方も少なくないでしょう。 もちろん、毎日決まった時間に勤行を行うこと、定点観測のように同じ行を積み重ねていくことは、修行として非常に有効です。心身に一定のリズムを与え、揺らぎやすい私たちの在り方に、静かな軸を通してくれます。 けれども、それだけでは行が「習慣」に留まり、いつのまにか心が離れてしまうこともあります。行は続いているのに、どこか形だけになってしまう――そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。 そこで大切になるのが、「小行(小さな修行)」です。 読経を一巻だけ唱える。 境内を通りがかった折に、ほんの一礼をする。 ふと思い立って、数呼吸だけ静かに坐ってみる。 どれも取るに足らないほど小さな行ですが、こうした折々の小行には、不思議な力があります。定まった行とは異なる角度から、心身にそっと揺さぶりを与えてくれるのです。 その揺さぶりによって、ある瞬間、行が「分かる」のではなく、「通る」ことがあります。頭で理解したのではなく、身体の奥にすとんと落ちる感覚。修行が外から課されたものではなく、自分の内側から自然に立ち上がってくる瞬間です。 だからこそ、私はこう思います。 小さな修行を気ままに、折々に。 気ままとは、いい加減という意味ではありません。無理に追い込まず、縁に任せるということ。折々にとは、思いついた時、心が動いた時、その機縁を大切にするということです。 大きな修行を支えるのは、往々にして、こうした小さな行の積み重ねです。小行は、修行の入口であり、同時に、修行を生きたものにする潤滑油でもあります。 どうぞ、できる時に、できる行を。 合掌ひとつからでも、行は確かに始まっています。 小さな行が、あなたの心と身体に、いつか静かに馴染みますように。

魂のない人たちの生き方

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「魂がない人たち」と言うと、少し強い言葉に聞こえるかもしれません。しかしここで言う「魂のない」とは、心や命の深さを失っているという意味ではありません。むしろ、魂というものを自分の生き方の中心に置かずに生きている状態を指しています。 現代社会では、効率や成果、評価が何よりも優先されがちです。早く、正しく、失敗なくこなすことが求められ、その中で人は「役割」や「機能」として扱われます。自分自身もまた、いつの間にか「成果を出す存在」「期待に応える存在」として自分を管理し始めます。そこでは、悩み、迷い、立ち止まることは、できるだけ排除すべきものになります。 そうして生きる人たちは、決して怠けているわけでも、無関心なわけでもありません。むしろ、とても真面目で、一生懸命です。ただ、その一生懸命さが、魂の方向ではなく、外から与えられた基準に向いているのです。 自分は何を大切にしているのか。何に心が震えるのか。どこで悲しみ、どこで救われてきたのか。そうした問いを持つ余白が、日常から少しずつ削られていきます。 魂にない生き方の特徴は、「問いがない」ことにあります。なぜ生きるのか、なぜそれを選ぶのかと問う前に、「そういうものだから」「皆がそうしているから」と答えが用意されている。問いがなければ、痛みも迷いも表に出てきません。その代わり、説明のつかない虚しさや、理由のわからない疲れが、静かに心に積もっていきます。 仏教では、人は本来、迷いながら生きる存在だと説きます。迷いは欠陥ではなく、魂が生きている証です。迷うからこそ問いが生まれ、問いがあるからこそ、人は自分自身と深く出会うことができます。魂のある生き方とは、完璧に生きることではなく、揺れ動く心を抱えたまま、なお生きようとする姿勢なのだと思います。 そのために、人は古くから「立ち止まる場」を大切にしてきました。 亡き人を想い、手を合わせる供養の時間。 まだ見えぬ先を案じ、願いを言葉にする祈りの時間。 それらは何かを即座に解決するためのものではありません。問いを問いのまま抱え、魂を再び生きた場所へと戻すための、静かな営みです。 供養とは、亡き人のためだけのものではありません。思い出し、語り、手を合わせることで、自分自身の生の輪郭を確かめる行為でもあります。祈願とは、願いを叶えるためだけではなく、「何を願わずにはいら...