修行という言葉には、どこか身構えてしまう響きがあります。 長時間の読経、厳しい作法、継続しなければ意味がないもの――そんな印象を抱く方も少なくないでしょう。 もちろん、毎日決まった時間に勤行を行うこと、定点観測のように同じ行を積み重ねていくことは、修行として非常に有効です。心身に一定のリズムを与え、揺らぎやすい私たちの在り方に、静かな軸を通してくれます。 けれども、それだけでは行が「習慣」に留まり、いつのまにか心が離れてしまうこともあります。行は続いているのに、どこか形だけになってしまう――そんな経験をお持ちの方もいらっしゃるのではないでしょうか。 そこで大切になるのが、「小行(小さな修行)」です。 読経を一巻だけ唱える。 境内を通りがかった折に、ほんの一礼をする。 ふと思い立って、数呼吸だけ静かに坐ってみる。 どれも取るに足らないほど小さな行ですが、こうした折々の小行には、不思議な力があります。定まった行とは異なる角度から、心身にそっと揺さぶりを与えてくれるのです。 その揺さぶりによって、ある瞬間、行が「分かる」のではなく、「通る」ことがあります。頭で理解したのではなく、身体の奥にすとんと落ちる感覚。修行が外から課されたものではなく、自分の内側から自然に立ち上がってくる瞬間です。 だからこそ、私はこう思います。 小さな修行を気ままに、折々に。 気ままとは、いい加減という意味ではありません。無理に追い込まず、縁に任せるということ。折々にとは、思いついた時、心が動いた時、その機縁を大切にするということです。 大きな修行を支えるのは、往々にして、こうした小さな行の積み重ねです。小行は、修行の入口であり、同時に、修行を生きたものにする潤滑油でもあります。 どうぞ、できる時に、できる行を。 合掌ひとつからでも、行は確かに始まっています。 小さな行が、あなたの心と身体に、いつか静かに馴染みますように。