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7月, 2019の投稿を表示しています

世間に一切の上妙楽あれども、聖なる寂滅の楽を最勝となす。無垢の妙法は如来の室なり。清浄の勝眼は実の如くに見る。『華厳経』

この世には楽しいことも多いが、 多くの快楽のはてには苦痛をともない、 後悔をよぶ。 最大の楽しみは何かといえば、 さまざまな悩みを越えて、 平和な心境に到達することである。 静けさの尊さ、 清らかさを悟らずに、 むなしく人生を過ごしてしまうことも多い。 しかし悟った境地から承れば、 宇宙は真理(妙法)そのものであり、 そのまま仏陀の住居(如来の室)である。 正しくすぐれた観察力を持つものは、 このように宇宙の真相を見、 自己の本来の姿を明らかに知るのである。

五濁の悪世にはただもろもろの欲にのみ楽著するをもって、かくの如き等の衆生は、ついに仏道を求めず『法華経方便品』

 堕落が激しい時代には下劣で凶悪な人びとがはびこり、 官能的享楽のために盲目となるものが多い。 こういう人びとは真理から顔をそむけ、 事実を認識し思考することを避ける。 したがって仏陀の教えから、 ますます遠ざかり、 破滅の一路をたどることになる。 このような時代にこそ仏陀の教えがまさに必要なのである。 心ある人たちは、 そのような迷えるものたちを指導するために、 時代に即応した、 しかも正しい教えを説き示さなければならない。

お盆

お盆は先祖の御霊が各家に帰る尊いひと時です 盂蘭盆会(うらぼんえ)と呼ばれています 最も身近な御仏をご自宅へお迎えしましょう そして、お盆が終わるころ 再び大きな世界へお見送りします 私たちを抱く大きな世界へと畏敬と感謝の念を添えながら… ​お盆をより一層、精進の機会とするために 希望者には棚経に伺います 玉泉寺へご相談ください 「萬霊供養盂蘭盆和讃」 夕べ涼しき迎え火の  火影(ほかげ)に法(のり)の道慕い 親族(うから)の御霊(みたま)帰ります  迎えていざや供養せん 思えば我らは久遠(くおん)より  七世の父母や六親と 恩愛(おんあい)契り浅からぬ  縁(えにし)をつなぐ身なりけり さらに思えば衆生(もろびと)は  互に頼り頼られつ 一樹の蔭のやどりにも  多生(たしょう)の縁(えにし)のありとこそ 自他平等のみ教えに  有縁無縁(うえんむえん)の隔てなく 万(よろず)の霊(みたま)おしなべて  祖先(みおや)と仰ぎまつらなん 衆生(もろびと)の 深き縁(えにし)ぞ 偲(しの)ばるる 御霊(みたま)祭の 灯火(ともしび)の影

施餓鬼供養和讃

帰命頂礼釈迦如来 阿難尊者のおん慈悲に こたえて説かる施餓鬼法 この世はみたまかずかずの  いまだに迷う業の世や 救いの道はただひとつ 心施物施の布施の行 南無や大悲の観世音 十方諸佛十方法 十方僧に供養せん 神咒お加持の功徳力 この土を清くやすらかに 慳む心を捨てさりて 発菩提心この世界 全てのねがい叶うなり 南無や五如来その利益 むさぼるこころ除かれて 福徳智慧を円満し 身心共に晴れやかに 受ける施食も恐れなし 有縁無縁のへだてなく その悦びのしあわせは 行う人の身にやどり わざわいの雲打ち拂い 世々長寿受くるらん 天下法界同利益 --------------------------------------------------- 「この世はみたまかずかずの いまだに迷う業の世や」 和讃のことばは、わたしたちの現実を鋭く映し出しています。 人は皆、無数の魂のいとなみの中で生きています。先祖も、他者も、縁あるものも縁なきものも、そのすべてが網の目のように結び合い、この世を支えています。 しかし同時に、その網の目はしばしば欲望に曇り、迷いに覆われ、苦しみの渦を生んでしまいます。だからこそ「救いの道はただひとつ 心施物施の布施の行」と示されます。 財を施すことも尊い。しかしそれ以上に、心を施すこと、思いやりを施すことこそ、世界を清める礎となるのです。 祈りとは、与えること。 自分を超えて、他者へと心を差し向けること。 その一瞬に、わたしたちの魂は解き放たれ、自由になります。 「慳む心を捨てさりて 発菩提心この世界」 惜しむ心を離れ、ただ仏道を志すとき、わたしたちの世界は清く、安らかになります。 その姿はまるで、暗雲を突き破って光が差し込む朝の大地のよう。 「全てのねがい叶うなり」と和讃が結ぶのは、ただの願望成就ではなく、清らかな心において自然と調えられる「真実の充足」のことを語っているのでしょう。 そして施餓鬼の功徳は、縁ある御霊にとどまりません。 「有縁無縁のへだてなく その悦びのしあわせは…」 誰かを供養する祈りは、そのまま自らの心を潤します。祈る者と祈られる者とが、やがてひとつの光の流れとなる。 与えることは、受けとること。 祈ることは、祈られること。 供養は、すべての魂を結び直す循環である。 施餓鬼法会は、単なる年中行事ではありません。 それは「わたしたちの...