幸福の国を見るには

 イエスは言われました。

「人あらたに生れずば、神の国を見ること能わず」と。


人が「神の国」、すなわち幸福の国に入るためには、新たに生まれることが必要なのです。


ここでいう「新たに生まれる」とは、肉体が母の胎内に入って再び生まれ変わることではありません。

それは、自分自身を内的に変化させ、魂の根っこから生まれ変わることを指します。


すなわち、自我の想念が完全に新しくなること。

考え方がすっかり新たになり、心のあり方が刷新されることです。


密教ではこれを「出生」といい、自心の中で新たに菩薩が生まれ出ることを表しています。


肉体という皮袋が新しくなっても、心の想いが新しくならなければ、幸福な生活を送ることはできません。


わたしたちが不幸を感じたり、淋しくやるせなく感じたりするのは、自分自身が神仏の波長から勝手に外れている証拠です。

言わば、迷い児となっているに過ぎないのです。

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