■玉泉寺 今月の掲示板■「項垂れる向日葵に、抗いはない。咲き初める萩に、急ぎはない。」
■玉泉寺 今月の掲示板■「項垂れる向日葵に、抗いはない。咲き初める萩に、急ぎはない。」
夏の盛り、向日葵はいつも太陽を追いかけていました。朝は東を向き、昼は真上を仰ぎ、夕方には西へ——まるで一途な祈りのように、光のある方角へ顔を向け続けていたのです。しかし九月を迎える頃、その首はゆっくりと垂れ始めます。もう太陽を追うことをやめ、うなだれるようにして、静かに種を実らせていく時期に入るのです。
これを「衰え」と見ることもできるでしょう。けれど、向日葵自身はきっと、そうは思っていません。追いかけることをやめ、頭を垂れることは、負けたのではなく、次の役目に移っただけのこと。花としての務めを終え、種を育てるいのちへと、静かに姿を変えているだけなのです。だからこそ「抗いはない」。それは諦めではなく、次へ委ねる者だけが持つ、深い落ち着きなのだと思います。
その傍らで、萩がひっそりと咲き始めます。萩は、桜のように一斉には咲きません。ある枝に一輪、また別の枝にもう一輪と、気づいたときにはいつの間にか咲いていた、というような咲き方をします。誰かに見てもらおうと急ぐ様子もなく、ただ自分の時が来たときに、そっと花開くのです。
向日葵が務めを終えて首を垂れるとき、萩は誰に気づかれることもなく咲き始めている——この二つの植物の姿が、九月一日という、夏と秋が入れ替わるまさにその日に、静かに重なり合います。
私たちの人生にも、この向日葵の時と、萩の時があるのではないでしょうか。全力で光を追いかけ、何かに向かって咲き誇る季節。そして、それを終え、次の実りのために静かに頭を垂れていく季節。あるいは、まだ誰にも気づかれないまま、ゆっくりと自分の花を咲かせ始めている季節。
大切なのは、どちらの季節にいても、急がず、抗わずにいることです。盛りを過ぎることを恐れて無理に留まろうとせず、まだ咲ききらぬことを焦って急かそうともせず、ただ今の自分の時を、そのまま受け入れること。
向日葵にも、萩にも、それぞれの時があります。そしてその静かな移り変わりの中にこそ、自然が私たちに示してくれる、いちばん優しい教えがあるのかもしれません。