その一文字に、宇宙が畳み込まれている ―弘法大師の言葉から


その一文字に、宇宙が畳み込まれている ―弘法大師の言葉から

 お墓参りで、卒塔婆(そとば)を目にしたことがあるでしょうか。細長い板の上のほうに、見慣れない梵字(ぼんじ)が一つ、書かれています。多くの人は、それを何となく「難しい古い文字」「特別な記号」として眺め、そのまま通り過ぎていくのではないかと思います。

 けれど弘法大師空海は、こんな言葉を残しています。

一々の字門、万像を含み、一々の刀金、皆神を現ず。

 文字の一つ一つのうちに、この世界のあらゆる姿が含まれている。刀剣や金剛杵といった法具の一つ一つが、そのまま仏のはたらきを現している――そう空海は説きました。この言葉を手がかりに、卒塔婆やお墓、お仏壇にある、あの見慣れた形の中に何が畳み込まれているのか、少しのぞいてみたいと思います。

一文字は、名札ではない

 私たちがふだん文字に触れるとき、それはほとんど「何かを指し示す記号」として扱われています。「山」という字を見れば山を思い浮かべますが、その文字自体が山であるとは誰も思いません。文字は、あくまで何かの代わりを務める道具です。

 ところが密教における梵字は、まったく違う性質を持っています。そこに書かれた一つの文字は、何かを指し示す記号ではなく、その文字そのものが、表そうとしている仏や真理のはたらきの現れである、と考えられているのです。名札ではなく、存在そのもの。指し示す矢印ではなく、そこに実際に宿っている力。空海が「一々の字門、万像を含み」と語ったのは、まさにこのことです。一つの文字の中に、世界のすべての姿が、すでに折りたたまれている。

卒塔婆とお墓が、宇宙のかたちをしている

 もう少し具体的に見てみましょう。お墓の多くは「五輪塔(ごりんとう)」という形を基本にしています。下から、四角(地)、円(水)、三角(火)、半円(風)、宝珠形(空)と、五つの形が積み重なった姿。これは単なる装飾ではありません。地・水・火・風・空――密教が説く、この世界のあらゆるものを成り立たせている五つの根本の要素、その形そのものなのです。

 卒塔婆に書かれた梵字も、この五つの要素を一字ずつ表しています。つまり、あの細長い板は、ただの目印や標識ではなく、それ自体が「この宇宙を成り立たせている根本の力」を、小さな一本の板の中にそのまま凝縮したものだったのです。手を合わせるとき、私たちは石や木の板に向かっているのではなく、この世界そのものの姿に向かい合っている、と言うこともできるかもしれません。

仏具もまた、道具ではない

 お仏壇に置かれた鈴(りん)や、僧侶が手にする金剛杵(こんごうしょ)といった法具も、同じ考え方の上に成り立っています。空海が「一々の刀金、皆神を現ず」と語ったように、それらは単なる儀式の道具ではなく、一つひとつがそのまま、仏の力そのものが姿を現したものとされています。鈴の音、金剛杵の形。そこには「何かを表す」というより、「そこに、すでにある」という在り方が込められているのです。

次にお墓や仏壇の前に立つとき

 これから、お墓や塔婆、お仏壇の前に立つ機会があったなら、そこに刻まれた一文字、置かれた一つの法具を、少しだけ見つめてみてほしいのです。それは、亡くなった方の名を示すための、ただの標識ではありません。そこには、この世界を成り立たせている五つの要素が、宇宙そのもののかたちとして、確かに折りたたまれています。

 手を合わせるとき、私たちは遠くにあるものに祈っているのではなく、この一本の板、この小さな石のかたちの中に、すでに宿っている大きな世界に、静かに触れているのかもしれません。何気なく見過ごしていたその一文字が、次に見るときには、少し違って見えてくるとしたら――それこそが、空海がこの言葉に込めた眼差しなのだと思います。

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