■玉泉寺 今月の掲示板■「月は知っている 遠く離れた人が 同じ空を見上げていることを」
月は知っている 遠く離れた人が 同じ空を見上げていることを
玉泉寺の掲示板に、今月はこの言葉を掲げました。
「月は知っている 遠く離れた人が 同じ空を見上げていることを」
会えない人のいる夜
人は生きていれば、会えない人が増えていきます。遠くへ引っ越した家族、疎遠になった友人、仕事や病や事情で会えなくなった人、そして、もう会うことのできない大切な人。
会えないという事実は、時間が経っても、ふとした瞬間に胸を締めつけます。ひとりで夜道を歩いているとき、ふと見上げた空に月があると、なぜか足が止まります。
月は、ずっとそこにいる
月は、私たちの都合とは関係なく、毎晩同じように空をわたります。あなたが見上げても、あなたの大切な人が見上げても、そこにいるのは、同じひとつの月です。
離れているのは、地図の上のことです。同じ空の下にいるという事実は、距離によって薄まることがありません。
そう思うと、月は空に浮かぶ光であると同時に、離れた人どうしをつなぐ、静かな見張り役のようにも思えてきます。
見上げることが、祈りになる
真言宗には、月を心に描いて静かに観じる修行があります。月は古くから、澄んだ心の象徴とされてきました。
けれど、修行の場でなくても、日常の中で誰もが月を見上げることはできます。遠くにいる誰かを思って見上げるとき、その姿はもう、ひとつの祈りです。
言葉にしなくてもかまいません。名前を呼ばなくてもかまいません。ただ「元気でいてほしい」と思うだけで、その思いはちゃんとどこかへ届いていくのだと、私は信じています。
谷戸の夜から
玉泉寺は、多摩ニュータウンのいちばん奥、谷戸の地にあります。夜になると、街の灯りが遠くなり、空が広く見えます。境内から見上げる月は、格別に静かです。
この場所で月を仰ぐたびに、これまでここを訪れ、祈ってきた無数の人々のことを思います。その人たちもまた、同じ月を見上げていたはずです。
いま、遠く離れた場所にいる誰かも、今夜どこかで空を見ているかもしれません。そして、あなたがいまこの言葉を読んでいるとき、あなたの大切な人もまた、空を見上げているかもしれません。
会えない時があってもいいのです。離れているからこそ、思いが深まる夜もあります。
もし今夜、少し心が沈んでいたら、窓を開けて、空を見上げてみてください。そこに月があれば、それだけで、あなたはひとりではありません。
月は知っています。遠く離れた人が、同じ空を見上げていることを。
合掌