初詣 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 1月 01, 2019 お正月を迎えると自然と心があらたまり、「よい年でありますように」と心に誓うものがわき上がってきます。その清新な気持ちで菩提寺に初詣をし、ご本尊さまとご先祖さまに年頭の挨拶をし、一年の加護を祈りましょう。家族揃っての初詣になれば、生活の目標を話し合うなど、楽しいものとなるでしょう。玉泉寺では修正会を修し、檀信徒の幸せと平和な世の中を念願して、諸願成就・息災安穏の初護摩供法要をつとめます。 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ
読経のすすめ『勤行聖典』:日々の実践と理解を深めるために 10月 15, 2025 はじめに:実践と理解、信仰の両輪 合掌 皆さまは、日々『勤行聖典』を読誦し、仏さまとのご縁を大切にされていることと存じます。この解説が、皆さまの日々の勤行を、より一層深く、意義深いものとするための一助となることを願っております。 仏道修行において、実践と理解は、あたかも「 車の両輪、鳥の両翼 」のごとく、どちらが欠けても前に進むことはできません。ただお経を唱える「実践」だけでなく、その言葉の背後にある仏さまの広大なる智慧と慈悲の心に触れる「理解」が加わることで、私たちの信仰は確かなものとなります。日々の勤行は、単なる習慣ではなく、自らの心を磨き、仏さまの世界に触れるための尊い時間なのです。 この解説が、皆さまにとって、その尊い旅路のよき伴走者となることを心より念じております。これから一つひとつのお経の言葉を紐解きながら、共に仏さまの教えの深淵へと歩みを進めてまいりましょう。皆さまの心を温かく照らし、仏道へと力強く導く光となることを願ってやみません。 第一部:勤行の心構え — 仏さまの世界と一体となる道 お経を読むこと、すなわち勤行(読経)とは、単なる儀式ではございません。それは、 仏さまの世界と一体となり、最高の幸福と功徳を得るための、この上なく尊い修行 であります。この身このままで、自分が宇宙そのものと一体化する体験こそが、死の恐怖さえも超えた究極の境地であり、あらゆる幸福の源泉なのです。亡き人は、すでに仏さまの世界に溶け込んでおられます。私たちが読経を通じてその世界と一体になろうとすることは、故人への最高の供養ともなるのです。 この第一部では、「なぜお経を読むのか」、そして「理解と実践の調和」という二つの章を通じて、勤行に臨むべき基本的な心構えを、共に紐解いてまいりたいと存じます。 第1章:なぜお経を読むのか 読経の究極の目的、それは「仏さまの世界と一体となること」に尽きます。これは、あらゆる悩みや苦しみ、そして死の恐怖をも乗り越えた絶対的な安らぎの境地です。そして、その世界に自らの心を重ね合わせることこそが、亡き大切な方々への最上の供養となるのです。仏事の本質は、すべてこの一点に通じています。 この境地に至るために、弘法大師空海さまは、ただお経を読むだけでなく「観想」の重要性を説かれました。 「真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く」 (真言はまことに不思議... Read more »
■玉泉寺 今月の掲示板■ 「曲がりくねった木も、深く大地をつかんでいる。まっすぐでなくても、しっかりと生きている。」 11月 01, 2025 今月の掲示板より 曲がりくねった木も、深く大地をつかんでいる。 まっすぐでなくても、しっかりと生きている。 山道を歩けば、風雪に耐え、岩を避けながらも、懸命に天を目指す木々の姿に出会います。 まっすぐにすくすくと育った木は、たしかに美しく、見る者の心を惹きつけます。 しかし、厳しい環境の中で曲がり、くねりながらも、倒れぬようにと大地に深く根を張った木の姿には、また違う種類の美しさが宿っています。 ごつごつとした幹が崖の岩肌に食い込むように張り付き、ねじれた枝にさえ、驚くほど可憐な花を咲かせる。 その姿は、まさしく力強い生命の輝きそのものです。 この「曲がりくねった木の生き方」は、変化が激しく、先行きの見えにくい現代を生きる私たちにとって、極めて重要な智慧を授けてくれるのです。 私たちは、社会が良しとする「まっすぐな道」を歩むことを理想としながらも、実際には思い通りにならない「曲がりくねった道」を歩むことになります。 その間にある葛藤こそが、多くの悩みの源泉となっているのではないでしょうか。 まっすぐな道という幻想 現代社会は、とかく「まっすぐで効率的な人生」を理想としがちです。 良い学校を出て、良い会社に入り、安定した地位を築く。 そうした画一的な成功のイメージは、まるで一本の揺るぎない物差しのように、私たちの人生を測ろうとします。 「大学全入時代」といわれる昨今、経歴に箔をつけるためだけに学び、よい暮らしをして一時の優越感に浸るために、自分を殺してあくせく働く。 その物差しから外れることを恐れ、多くの人々が息苦しさを感じているのではないでしょうか。 しかし、果たしてその価値観は、本当に私たちの心を豊かにしてくれるものなのでしょうか。 弘法大師空海は、その著作『性霊集』のなかで、次のように嘆じておられます。 古の人は道の為に道を求む 今の人は名利の為に求む 昔の人は、その道を究めようとして学んだが、今の人は、地位や名声を得るために学ぼうとする。 かつて、学びや働くことの目的は、自分自身の内面を探求し、道を究めることにありました。 しかし現代では、それが他者からの評価や地位、名声といった外面的なものを得るための手段となりがちです。 見た目の成功だけを追い求める生き方は、たとえそれを手に入れたとしても、心のどこかに空虚さを残すことになりかねません。 多くの人が挫折や失敗... Read more »
■玉泉寺 今月の掲示板■ 「心があるように 落葉が散っていく」 10月 10, 2025 ■玉泉寺 今月の掲示板■ 「心があるように 落葉が散っていく」 秋風に舞う落葉は、ただ重力に従って落ちているのではなく、まるで心をもって散っていくかのように見えることがあります。 枝を離れるときの静けさ、風に揺られながら空に描く軌跡、地に帰って土となる安らぎ。そのすべてに「命の流れ」が映し出されています。 私たち人間もまた、日々の中で喜びや悲しみを経験しながら、やがて自然に帰ってゆく存在です。落葉が自らの役割を終えて次のいのちを育むように、人の歩みもまた、後に残るものへとつながっていきます。 散りゆくものは、終わりではなく、未来を育むはじまり。落葉は静かなことばを大地に残してゆきます。 Read more »