参列修行のすすめ

 仏法は限りなく尊く、深淵にして広大です。

しかし、その尊い教えを、いかに日常において実践すればよいのか、迷う方も多いことでしょう。

経典を読み、思想を学んでも、それだけではなお自らの身心に染みわたらぬ。心掛けてはいても、どこか小さくまとまってしまう。そのような不安を覚える方にこそ、すすめたい道があります。

それが「参列修行」です。

参列修行とは、ただ寺の儀礼に身を添えることです。

日常の塵労からひととき離れ、仏の御前に座し、祈りの法要に立ち会う。これ自体が尊き修行となります。山林に籠もる必要もなく、万巻の経を誦することもなく、ただ、仏前にひたすら参列するのです。

ただし、それは形ばかりの祈りではありません。

過去の祈りが「他者まかせ」であったならば、それは真の祈りとは申せません。堂内に身を置きつつ、なお己の内なる仏性に耳を澄まし、ただ自己の祈りとして参列する。ここにこそ真実の修行があるのです。

「それならば自宅でもできるのではないか」と思うかもしれません。

けれども、日々祈りが凝らされ続けている道場における参列は、格段に異なるのです。絶え間なく積み重ねられた祈りの力に触れることで、個人の力を超えた大いなる功徳をいただくことができます。

玉泉寺では、

毎朝五時

毎月二十八日午前九時

本尊不動明王の宝前において、護摩修行を厳修しております。

護摩の聖火は、われらが心に積もる日々の垢を焼き清め、宿縁の業をも昇華いたします。

ご参列はすべて無料にて承っております。お布施の心配はございません。勧誘もいたしません。求めがあれば法話をいたしますが、まずはただ、御宝前に身を添えて心の浄めに専念してください。出入りは自由であり、外からの参拝もまた尊き修行となります。

どうぞ一度ご参列ください。

不動明王の御前において、己が仏性と向き合うひとときを持たれることを心よりおすすめ申し上げます。

このブログの人気の投稿

読経のすすめ『勤行聖典』:日々の実践と理解を深めるために

■玉泉寺 今月の掲示板■ 「曲がりくねった木も、深く大地をつかんでいる。まっすぐでなくても、しっかりと生きている。」

■玉泉寺 今月の掲示板■ 「心があるように 落葉が散っていく」