十三仏詠歌
不動明王
千万(ちよろず)の 悪魔降伏(あくまごうぶく) なし給(たも)う
威徳は高し 南無不動尊
釈迦如来
諸人(もろびと)に いのちの秘密 説き給う
永遠の安らぎ 授くみ仏
文殊菩薩
清涼の 山にまします 文殊師利(もんじゅしり)
智慧の利剣を 授け給えや
普賢菩薩
白象に 乗りて我等を 導ける
普賢行願(ふげんぎょうがん) 菩提の刹(くに)に
地蔵菩薩
有難や 六道能化(ろくどうのうけ)の 地蔵尊
輪廻の業苦 救わせ給う
弥勒菩薩
後(のち)の世に 出給うべき 弥勒尊
兜率の宮に み守られける
薬師如来
薬師仏 願へ諸(もろ)びと 身の病
心の病 癒えざるはなし
観世音菩薩
世の中に あまたの姿 現して
救わせ給う 南無観世音
勢至菩薩
大いなる 智慧の光に 照らされて
三途の闇も 消え失せぬべし
阿弥陀如来
行き到り 共に歩まむ み仏の
永久のいのちに 生きる尊さ
阿閦如来
ゆるぎなき 菩提(ぼだい)の心 説き給う
信心堅固の 利益(りやく)仰(あお)がん
大日如来
みほとけの 中に優れし 大日の
光に漏るる ものとてはなし
虚空蔵菩薩
虚空蔵(こくうぞう) 福徳智慧は 限りなし
まばゆき光 拝みまつらん
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私たちが仏の名を唱えるとき、そこには一つひとつ異なるお働きが映し出されます。
不動明王は悪を降伏し、釈尊は真理を説かれ、文殊は智慧を授け、普賢は実践を導き、地蔵は六道に赴いて救いを施されます。
そのすがたは異なれども、いずれも衆生を照らし、悩みを担い、安らぎへと導く慈悲の現れにほかなりません。
仏の功徳は千万通りに及びながら、すべては一つの願いに帰します。
それは「人びとが苦しみから離れ、心の安らぎと歩む力を得るように」という願いです。
私たちが祈りを捧げるとき、その願いは自らの心に映り、行いとなって周囲にひろがっていきます。
諸仏諸菩薩を拝むとは、外なる光を仰ぐと同時に、自らの内に潜む仏の心を呼び覚ます営みでもあります。
それぞれの御名を唱え、徳を讃えるとき、私たちの心の奥に清らかな泉が湧き出すのです。
その泉を絶やさずに育みながら、日々を歩んでまいりたいと思います。