心をどこに向けるか
心に起こす念は、やがて「業(ごう)」となって現象をつくり出します。
特に強い感情を伴うとき、その念はいっそう深く潜在意識に刻まれ、未来の果報を形づくるものです。
もしその念が「瞋恚(しんに)」――すなわち怒りや憎しみであるならば、その毒は相手を害する前に、まず自らの身心を蝕み、苦を生じさせます。
まさに「一切唯心造(いっさいゆいしんぞう)」――すべては心のはたらきに依るのです。
だからこそ私たちは、心が一点に集中する「三昧(さんまい)」の機を、善き方向に用いねばなりません。
たとえば鏡に向かうとき、心が澄みわたるのを感じ、「南無仏、我は幸いなり」と念ずるならば、その善き想念は光となって自らを護り、日々の歩みに力を与えるでしょう。