彼岸会御和讃
此方(こなた)は生死の暗き里
彼方(かなた)は涅槃の聖(きよ)き国
間(あい)にみなぎる煩悩の
流れぞ深く越えがたき
彼岸(かなた)の岸に到るのは
布施(めぐみ)持戒(いましめ)忍辱(たえしのび)
精進(はげみ)禅定(しずけさ)智慧(ちえ)の徳
積みてし漕(こ)がん法(のり)の船
暑さ寒さも彼岸まで
よろず程よく偏(かたよ)らぬ
調和(なごみ)の相(すがた)中道の
理にふさわしき季節なる
教え妙(たえ)なる彼岸会を
こよなき修養週間と
日頃懈怠(けだい)をかえりみて
勤めはげまん六度行
祖先(みおや)をまつり身を修め
菩提(ぼだい)の種を培(つちか)いて
浄土の光り現実(うつしよ)に
いただく今日の尊さよ
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──日常に生きる仏道
此方は「生死の暗き里」と、私たちが暮らす現世の喩えで始まります。日々の忙しさ、悩み、思い通りにならない出来事の連続は、まさに暗く深い里を歩むようなものです。家族や仕事、友人との関係で喜びを感じる一方で、心の中には怒りや嫉妬、欲望といった煩悩が絶えず流れています。和讃が示す「間にみなぎる煩悩の流れ」が、私たちの生活の実感と重なるのはそのためです。
では、どうすればこの「流れ」を越え、彼方の涅槃の聖き国に近づけるのでしょうか。和讃は「布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧」の六つの徳を積み、「法の船」によって彼岸に渡ると説きます。現代の私たちの日常に置き換えるなら、これは小さな行いの積み重ねです。
布施(めぐみ)は、他者への思いやりや助けの心。メール一つ、言葉一つ、微笑い一つでも日常の布施です。
持戒(いましめ)は、言動に節度を保つこと。忙しさにかまけて誰かを傷つけることを避ける心です。
忍辱(たえしのび)は、困難や理不尽に耐える力。通勤ラッシュや予期せぬトラブルの中での心の平静も忍辱です。
精進(はげみ)は、努力を怠らず、学びや仕事に真摯に向き合うこと。毎日の掃除や勉強、仕事の丁寧さも精進です。
禅定(しずけさ)は、心を落ち着け、静かに自分を見つめること。短い瞑想や深呼吸、静かな朝の時間も禅定です。
智慧(ちえ)は、ものごとの本質を見極め、偏らず中道を歩む力。感情に振り回されず、バランスを意識することも智慧です。
和讃が「暑さ寒さも彼岸まで」と述べるように、季節や環境の苦しみも、こうした徳を日々少しずつ積み重ねることで乗り越えられます。仏道は特別な行場や大きな儀式のためだけにあるのではなく、家の中、職場、道すがらの瞬間にも息づいています。日常生活そのものが、修行の場です。
また「祖先をまつり身を修め、菩提の種を培いて」とあるように、過去に生きた人々や教えを敬い、そこから学ぶ姿勢も大切です。感謝の心をもって、日々の暮らしの中で小さな徳を積むこと。それがやがて自分自身の平安と、周囲への善き影響へとつながります。
今日という日は、目に見える現実の中で仏道をいただく機会でもあります。食事を丁寧にいただき、他者を思いやり、心の静けさを保つこと。そうした日常の一つひとつが「浄土の光」を現実に生きることです。彼岸会の和讃は、私たちに日常を離れた修行の特別さを説くのではなく、むしろ日常そのものの尊さを思い起こさせてくれます。
日常の忙しさに埋もれがちな心を、和讃の一節一節に照らし合わせて、少し立ち止まり、心を整える。これこそが、現代における彼岸会の精神なのです。