あなたが仏であるという真実

羝羊自性なきが故に善に遷り愚童内薫力の故に苦を厭う(十住心論第三)

本能に振り回される者も、やがては善を求め、愚かさの中にある心も、苦を解決しようと願うものです。

仏と我と無二無別なり 乃至一切衆生の各別の身中の本来自性清浄の理も世間出世間に於て最勝最尊なり(秘蔵記)

仏と私たちは本来一つであり、何の隔てもありません。すべての衆生の身の内には、もともと清浄なる真実が宿っています。この理法こそ、世の中で最も尊く優れた教えであると説かれています。


人間には「毛虫」のような面と、「蝶」のような面とがあります。毛虫は地を這い、葉を食べ、もがきながら生きています。その姿は一見、卑小で醜く見えるかもしれません。しかし、毛虫の営みこそが、やがて蝶へと羽化するための必要な道のりです。貪り、怒り、愚かさといった人間の煩悩もまた、無意味なものではありません。煩悩があるからこそ、それを昇華し、仏性を顕す契機となるのです。


真言密教はこれを「煩悩即菩提」と説きます。毛虫が自らの姿を否定することなく、そのまま蝶へと変わっていくように、人間もまた煩悩を抱えたまま、その煩悩を土壌として仏性を咲かせていくのです。


毛虫の歩みを見ていると、私たちもまた同じく、未熟さのただ中に仏の可能性を宿していることに気づかされます。毛虫の生は蝶の生を含み、煩悩はそのまま菩提へと通じているのです。

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